まちなかアート探索

まちのなかにある美術作品についてあれこれ書きます。主に福岡、ときどき他のまち。

ヴィム・デルボア 《低床トレーラー》

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いつもは福岡のまちにあるパブリック・アートを紹介していますが、先日横浜トリエンナーレに行ってきましたので、そのなかのひとつの作品を取り上げたいと思います。

正式には「ヨコハマトリエンナーレ2014」は今年は横浜美術館と新港ぴあを主な会場として11月3日まで開催されている現代美術の祭典です。

現代美術というだけあって意味がわからないものも多いですが、それを考えながら見て回るのが楽しいです。

 

網目模様のトレーラー

 

横浜美術館正面に現れたこの作品は、遠目にみるとまさにトレーラーです。ほぼ実物大だと思われます。

トレーラーという車についてこれまで深く考えたことがなかったので確認してみたところ、

動力をもたず,他の牽引車に引かれて荷物や旅客を運ぶ車。付随車。牽引車を含めていう場合もある。(三省堂 大辞林

というもののようです。

今回のこの作品では「低床」とついているように床面が低くなっているトレーラーです。

 

この作品は確かに遠目に見るとトレーラーですが、近くでみるとなんと細かくて美しい網目模様でしょうか。

錆びたようなスチールの色合いもトレーラーと網目模様に奇妙にマッチしています。

 

この文様は西洋建築でよく見られる文様だとなんとなく気がつく人も多いのではないでしょうか。

 

ゴシック様式とトレーラー

 

 作者のヴィム・デルボアは"Gothic Works"というテーマで様々な作品を残しています。この《低床トレーラー》もゴシック作品のひとつです。

 

ゴシック様式は12世紀から14世紀ぐらいにフランスで始まった建築様式であり、シャルトル大聖堂が有名でしょうか。尖頭アーチやバラ窓のステンドグラスなどが特徴です。

 

教会という神聖な場所で用いられることの多いゴシック様式を、なぜデルボアはトレーラー、しかも錆びた鋼のようなもので制作したのでしょうか。

 

これはまさしくデルボアの皮肉ではないかと思われます。人間の力や自然の破壊の象徴であるトレーラーを、あえて神の象徴であるゴシック建築様式と組み合わせ、神とはなにか、人間とはなにか、この現代を危惧し嘲笑しているかのようです。

 

デルボアのゴシック作品では、これ以上に過激なものもあります。

例えば、性行為をレントゲン写真で撮影し、それをステンドグラスのように仕上げています。この作品は遠目で見るとまさに美しいステンドグラスですが、近くでみると男性の性器を舐める姿のレントゲン写真で成り立っており、観客はぎょっとさせられます。

これは《低床トレーラー》以上に過激な皮肉ではないでしょうか。

デルボアは神聖なるものと人間の愚かさのようなものを作品を通して伝えようとしていたのかもしれません。

 

ヴィム・デルボアについて

 

ヴィム・デルボアはベルギーのウエストフランデレン州、ウェルビクで生まれました。デルボアは宗教熱心というわけではなかったようですが、彼が住んでいた地域のローマ・カトリック社会に影響されたようです。

1992年、デルボアは『モーセ』で国際的な認識を得ました。その作品は彼の排泄物でタイルに模様を描いています。

よく知られている三つの作品テーマは「排泄物」「美術農園」、そして今回のゴシック作品シリーズです。

 

彼のホームページは見ていただければわかりますが、とてもおもしろいのでお勧めです。

 

参考サイト

ヨコハマトリエンナーレ2014 http://www.yokohamatriennale.jp/2014/

Website of Belgian artist Wim Delvoye http://www.wimdelvoye.be/#

Wikipedia http://en.wikipedia.org/wiki/Wim_Delvoye

ドルヴァ・ミストリー 《木の精》

体と木のライン

 

百道浜の地行中央公園です。

写真が下手でピンぼけしていて申し訳ないです。

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裸体の女性が右斜上を向き、足をクロスさせて立っています。

左右の手の長さと足の長さが違うのにバランスがとれて見えます。

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左の木と融合しているようです。

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髪の毛が木とつながっているというか、木から髪の毛が生まれ、人の姿にしているように見えますね。

 

20世紀後半の彫刻

 

作者はドルヴァ・ミストリーです。 

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この作品は1988-90年に制作された作品です。

20世紀後半の彫刻での大まかな流れというと、1960年代後半ぐらいからミニマル・アート作品が多く制作されるようになっています。ミニマル・アートとはアメリカで興った作風で、均質で単純な形態を特徴としています。

ミストリー自身、例えば彼の《物体Ⅱ》という作品のように、ミニマル・アート作品を制作しています。

1980年代から90年代になるとフェミニズムや身体表現に対する意識が高まる流れがあったとも言われています。(『20世紀の美術』美術出版社、2013年、p179)

ミストリーの《空間の図表》という作品では、ミニマル・アート作品ほど単純化されてはおらず、女性の胸のふくらみや手足の質感も表現されています。

 

今回の《木の精》では、女性の身体が豊かに表現されており、女性の表現の仕方は彼が彫刻ではなく絵画でも表現してきた女性像(《マヤ・メダリオン》など)に近いとわたしは感じました。

 

木と髪

《木の精》では女性の束ねた髪の毛が木と融合しているように見えます。

髪の毛は古くから生命力の象徴と考えられてきました。

インドのブラーフマナ文献にも、祭式に用いる草から作った煉瓦に関するところで、創造主の毛が地上にばらばらに落ちて植物になったのだと説明されています。

このような、髪から生命が作られるという思考が、《木の精》でも表現されているのかもしれません。

  

ドルヴァ・ミストリーについて

 

彼は1957年インド西部グジャラート州のカンジャリに生まれました。

その後、インド、バローダのM.S.大学美術部で彫刻を学び、修士号を取得しました。さらにその後、1981 年から83年にロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アート修士課程で彫刻を学んでいます。

現在彼はインドのヴァドーダラーで制作に励んでいます。

彼の作品はHPにも年代ごとに掲載されているので、作品の変遷をおっていくとまたおもしろいです。http://dhruvamistry.com/index.htm

 

参考文献

福岡市美術館『ドルヴァ・ミストリー展』(アジア現代作家シリーズⅦ)、福岡市美術館、1994年

風間喜代三『ことばの身体誌 インド・ヨーロッパ文化の原像へ』、平凡社、1990年

ヘンリー・ムーア 《着衣の横たわる母と子》

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やわらかな曲線

 

2011年に新しくリニューアルされた博多駅の博多口広場にはいろんな彫刻がありますが、今回はそのなかから一つをご紹介します。

 

やわらかな線が美しいです。

波を打ったような母親の大きな体とそこにすっぽりと収まる子ども。

はっきり人間とわかるような細かさは刻み込まず、影のような線だけで表現していて、変に生々しくないから外の雰囲気にも溶け込んでいるのかもしれません。

あたたかな雰囲気の作品ですが、暗めのブロンズの色合いと輪郭のみで表情のない親子の姿が少し不気味でもあります。

 

説明がよく見えないかもしれませんが、このように書いてあります。

この彫刻は福岡市政100周年を記念してヘンリー・ムーア設置市民の会(会長永倉三郎)の募金活動により市民ひとりひとりの熱意と愛情を添えて寄贈されたものです。

永倉三郎氏は九州電力の会長だった方のようです。

 

横たわる人体

 

ヘンリー・ムーアは1920年代から<横たわる人体>シリーズを制作し始めています。

その姿は単なる人体の形ではなく、単純化したり、空洞を開けたり、デフォルメしたり、ムーアは様々な形状の人体像に取り組んでいたようです。

 人体像でも立っているものや座っているものなどいろんな体勢があるのに、どうして「横たわる」を選択したのか、ムーアは次のように語っています。

 

人体の基本となるポーズが3つある。まず立っているもの、次に座っているもの、そして横たわっているものである。……しかしこの3つのポーズのうちで、横たわる人体像は、構成や空間を考えるのにもっとも自由がきく。……横たわる人体像はどんな面のうえにも横たわることができる。自由でもあるし安定してもいる。これは、彫刻では恒久的で、永遠に向かって持続すべきだとする私の信条にあっている。

 

今回の作品は《着衣の横たわる母と子》というタイトルで、衣を着ているということも特徴的です。1976年の作品に《衣装をまとった横たわっている人体》がありますが、これも今作と同様に衣をなにか着ているようにはあまり見えませんが、衣の曲線やふんわりとした柔らかさを彫刻にだしたかったのかもしれません。

 

母と子

 

「母と子」のテーマもムーアは多くの作品を残しています。

ノーサンプトンのセント・マシュー教会にある《聖母子》という作品は表情も手足も細かく表現され、鑑賞作品というより、その名の通り礼拝的価値のある作品となっています。

《母と子(ルーベンス風)》では母の膝の上に子どもがのり、戯れる我が子を包み込むような母の様子が表され、今回の作品に通ずるものがあります。

 

ムーアはこのテーマについて以下のように語っています。

 

私はかなり早くから「母と子」というテーマの虜になっていた。それは歴史が始まって以来の普遍的なテーマであり、新石器時代から見つかった最も初期の彫刻にも、この「母と子」のテーマのものがある。

 

ヘンリ・ムーアは母と子をテーマにした作品を多く残していますが、彼に娘が生まれるとそのテーマはさらに豊かなものと発展していったようです。

 

ヘンリ・ムーア

 

ヘンリ・ムーアは1898年にヨークシャー州のカッスルフォードに生まれました。

1917年に第一次世界大戦のために入隊、1921年にロンドンの王立美術学校で彫刻を学び始めました。

1929年に王立美術学校の画学生だったイリナと結婚し、1940年代には戦争絵画も描いています。

1946年に娘のメアリーが誕生しました。

1986年に亡くなっていますが、特にブロンズ製のパブリック・アートが世界中に設置されていて国際的に有名になっています。

日本にも彼の作品はたくさんあるので、実際のものをもっとたくさんみて比較してみたいです。

 

参考文献

中村節子編『ヘンリー・ムア-生命の形』ブリヂストン美術館、2010年

吉水 浩 《瑞雲》

大きなうずまき

 

博多リバレインの建物のちょうど角っこに現れた大きな渦巻きです。

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この写真では少しわかりにくいかもしれませんが、渦巻き模様の面が青色で、外側と内部の面が黄色になっています。青色というよりは紫色、黄色というより黄緑色っぽくなっていますので、青×黄の補色関係よりも柔らかめの印象を受けるかもしれません。

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この大きな渦巻きはいったいなんなのか?

わたしには雲のようにも波のようにも見えます。

 

博多リバレイン

 

博多リバレインという場所は博多座ホテルオークラ福岡アジア美術館・イニミニマニモから成り立っており、インテリアや芸術、こだわりのブランドを取り扱っている施設です。

今回の渦巻きの作品は福岡アジア美術館のロゴマークとも似ています。

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ロゴマークの成り立ちについてはホームページでは直接述べられてはいませんでしたが、基本理念の中に以下のような文章がありました。

 

 

福岡アジア美術館は、福岡と博多の「まち」のエネルギーがうずまく都心にあります。この「まち」に生きる人々が、アジア美術を通してアジアの「いま」へ最短距離でアクセスできる都心型の美術館です。また、アジアの美術作家たちも、「まち」特有の場所や表現方法を活かして、「まち」を生きる人々へとアプローチしていきます。

福岡アジア美術館 基本理念 http://faam.city.fukuoka.lg.jp/about/abt_index.html

 

福岡アジア美術館のロゴはエネルギーのうずまきを象徴しているのかもしれません。

そして今回の作品もアジア美術館のロゴを意識しているのか、逆にこの作品がアジア美術館のロゴになったのかもしれません。

 

青と黄

 

この作品で印象的なのはなんといっても青と黄のまぶしくなるようなコントラストです。補色の関係にあるこの二色のおかげでとても明るい印象を受けます。

 

そもそも青と黄は仏教で用いられる五色のなかの二色です。

次に示すタイトルと関係するので、次に書きます。

 

雲のモチーフ

 

作品のタイトルは《瑞雲》となっていました。f:id:yukina_na:20140115152023j:plain

瑞雲とは、めでたいことの起こるきざしとして現れる雲のことを言います。

 

雲の模様は古くは奈良時代から用いられたと言われており、解説にも書かれているように吉祥のシンボルでもあります。

 

そして瑞雲は五色の雲とも呼ばれ、この五色の雲は仏教では聖衆来迎というおめでたい出来事の前触れでもあるわけです。

この作品ではその五色(青・黄・赤・白・黒)の中の二色である青と黄を塗ることによって、さらに縁起の良さを表現しています。

 

作者はただ補色の関係で目立つからといった理由だけではなく、こういった縁起の良い色合いを理解した上であえて使ったのかもしれません。 

 

こういったモチーフこそがアジアとの玄関口にあたる博多にはふさわしいのでしょうね。

 

作者について

 

作者の吉水浩は1965年東京都で生まれました。

東京芸術大学大学院を修了後、アメリカ・イタリアに滞在し、国内外でパブリック・アートの制作に取り組んだそうです。

福岡では姪浜駅に彼の《Dragon King Rabbits》という作品もあります。

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この作品でも《瑞雲》と似たうずまきの曲線や色鮮やかな青が使われています。

作者の吉水浩はこういった作風が好きなのかもしれません。

またいつかの機会にこの作品についても詳しく紹介できればいいなと思います。 

 

そして現在の彼はエルド吉水という名前で漫画作品を発表して精力的に活動しているようです。

彼のYouTubeページがありましたので、それを見ると様子がよくわかります。

https://www.youtube.com/user/EVCARO1965/videos

かっこいいですよ!

 

参考文献

中村元福永光司、田村芳朗、今野達、末木文美士編『岩波仏教辞典 第二版』岩波書店、2002年

ニキ・ド・サンファル 《大きな愛の鳥》

 

ぎょっとさせられる色彩

福岡の百道浜ヤフオクドームの近くに立ちすくむ作品です。

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大きな岩の上に立ちはだかっているので、こんな角度からしか写真が撮れませんでした。

大きな翼に大きなくちばし、胸もふっくらしている凛々しい鳥です。

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この時間は正面から撮ると逆光になってしまいましたので、後ろ姿の全体像です。

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鳥の正面にヤフオクドームが見えます。

 

この作品は鳥を表しているようですが、ふっくらとした胸は女性のようでもあり、がっしりとした足は男性のようにも見えます。

 

そしてなんといっても目にはいるのは色鮮やかな色彩です。

赤・黄・青・黄緑・黒といった色がくっきりと彩られています。

 

作者はニキ・ド・サンファルです。

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 だいぶ解説板が古くなっていて見えにくくなっています。写真を拡大してみてください。

 

彼女が今回のような色彩豊かな作品を制作するに至ったのは、まず、当時の美術の流れとも言えると思います。

 

彼女は1930年から2002年までを生きた芸術家です。

特に60年代はヌーヴォー・レアリスト、大量生産された製品や廃棄物を使って美術作品を作る人々と一緒に射撃絵画に取り組んでいます。

射撃絵画はその名の通り絵の具入りの容器が詰め込まれたレリーフや彫刻をライフルで撃って完成させた作品です。

実際に作品を見ていただくといちばんわかりやすいのですが、様々な色の絵の具が飛び散る様子はなんともおどろおどろしいものがあります。

 

この射撃絵画と今回の作品はまったく違うものではありますが、色鮮やかに飛び散る絵の具の様子をみると、射撃絵画制作当時からニキは色彩に興味があったのではないかと思われます。

 

ニキと神話

《大きな愛の鳥》は鷲の姿をしています。

解説にも描かれている通り、ニキはエジプト神話のホルスをイメージしているようです。ニキの過去の作品にも《ホルス》と題されたものがあります。

ホルスは古代エジプトの天空神・太陽神であり、鷲の頭で体は人間の姿をしています。今回の作品はまさにその姿です。

さらに言うならば、鷲のモチーフはエジプト神話だけではなく、ギリシア神話ではゼウスは鷲に変身して空を飛び、神聖ローマ帝国では双頭の鷲を紋章としていました。鷲は勇敢なものの象徴として古くから伝わっていたようです。

 

そしてニキはエジプト神話には特別に関心を寄せていたようですが、なにより動物や自然を愛するアニミズム的信仰に関心があったようです。

ニキの作品をみると、ヘビ、クモ、カエルなどたくさんの生き物が出てきます。神話と結び付けられて製作したのかもしれませんが、イタリアのトスカーナ地方にあるニキの作品《タロット・ガーデン》をみると、神話を参考にしていると言うよりは、ニキ自身が神話を作り出しているかのようにもわたしには思えました。《タロット・ガーデン》は22枚のタロットカードをイメージした作品が立ち並んでいて、とても奇妙な世界でおもしろいです。

 

《大きな愛の鳥》に至るまで

ニキ・ド・サンファルと言えば有名なのは《ナナ》シリーズです。《ナナ》シリーズでは女性をテーマとした作品が多く作られ、このときの色彩は今回の作品《大きな愛の鳥》と近いものを感じさせます。

60年代、70年代では女性をテーマとした作品を多く残していますが、次第に今回の作品のように神話に基づく動物や自然をテーマにした作品が増えてきています。ニキはきっと女性を探求するうちに人類の誕生であったり自然であったりと、もっと大きなテーマを見出すようになったのではないでしょうか。

 

ニキ・ド・サンファル

1930年から2002年を生きたフランスの画家であり、彫刻家であり、映像作家でもあります。20歳頃までアメリカに住んでおり、その後パリに移っています。

ジャスパー・ジョーンズやラウシェンバーグとも交流があり、彼らと一緒に作品を製作しています。

初期は射撃絵画を描いていたニキですが、その後立体製作に路線を変更しました。

立体作品を製作しつつ、映画も製作していたという多彩な人物です。

なんと日本には唯一ニキの作品だけを展示する『ニキ美術館』が栃木県那須市にありましたが、残念なことに2011年の8月に閉館していました。しかしホームページを覗くとグッズ販売だけは続けていて、ネットショップで購入できるようです。

興味がある方はみてみるとおもしろいかもしれません。

 

参考文献

ニキ美術館『ニキ・ド・サンファル』美術出版社、1998年

野間佐和子『ニキ・ド・サン・ファール』(現代美術、第16巻)、講談社、1994年

洪易(ホンイ) 《福蛙(Lucky Frog)》

キャナルシティ博多イーストビルにカエルがいました。

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黒の体に水玉模様。水玉の中にさらに丸が描かれていて、四色になっています。

全部同じ水玉ではなくて色んな色!カラフル。

 

目玉は体の模様と似た丸で描かれていて、右目の周囲は放射状になってます。

左目はチェック?模様。

 

左足と右肩(?)と目の周囲は同じ青と水色のチェック模様。

口は三角。これも色んな色です。

 

このカエルが大きな石の台座に乗っかっています。

 

後ろ姿。

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様々な草に囲まれて、自然の中にいるカエルを表現しようとしているのか……と思ったけど、それにしてもカエルは人工的な色合いです。

 

横顔。

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よくみると後ろ足がなくてしっぽのようになっている。

もしやおたまじゃくしからの成長途中なのかな。

 

洪易(ホンイ)さんの《福蛙(Lucky Frog)》という作品です。

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ホンイさんはこの作品のようなカラフルな生き物をたくさん制作しているそうです。

台湾で見られるカラフルな伝統的な文様を参考にしているとか。

 

このキャナルシティでカエルを選んだのは、やはりキャナルシティが川沿いにあるからなのかな。

崔正化(チェ・ジョンホァ) 《柱は柱》

博多リバレインに突如現れたカラフルな柱!

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まわりがシンプルなだけに目立ちます。

 

緑と黄色と赤と青。

よく見ると、色によって柱の種類を分けているようです。

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青がドーリア式、緑がイオニア式、黄色がコリント式、赤が和式…と思ったんですがどうなんでしょうか。

 

解説ではこのように書いてあります。

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チェ・ジョンホァさんは韓国出身の作家さんだそうです。

ホームページに作品がたくさん出ていますが、

色合いがカラフルで宗教的(主に仏教かな?)な作品が多いように思います。

http://choijeonghwa.com/

 

この作品はまわりの風景からしたら浮いているのでインパクトはあるのですが、

如何せんリバレインの裏手のほうにあるので意外と目立たないのが残念です。