まちなかアート探索

まちのなかにある美術作品についてあれこれ書きます。主に福岡、ときどき他のまち。

草間彌生《三つの帽子》

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この水玉模様を見てピンとくる方も多いかもしれません。

水玉模様の作品をたくさん残し、水玉模様の眩しいくらい派手な服装に身を包んでいるその姿が印象的な、草間彌生の作品です。

 

ここは福岡市中央区舞鶴。

福岡いちばんの中心部である天神から少し歩いた静かな場所にある「あいれふ」という福岡市健康づくりサポートセンターです。

そこに三つ並ぶ大きな帽子。白地に赤の水玉、赤字に白の水玉、紫地に白の水玉の三種類で、どの帽子もりぼんがついています。

よく見ると帽子の内側は色が反転していてお洒落です。

さらに、りぼんの部分はそれぞれ微妙に模様が違います。

 

水玉へのこだわり

 

先に述べたように、作者は草間彌生です。

草間彌生と言えば水玉模様の作品がたくさんあります。

特に有名なのは黄色に黒の水玉模様が配された大きなかぼちゃでしょうか。

直島にあるものがよく知られていますが、福岡市美術館の前にもあります。

 

しかし、それだけに留まらずあらゆる作品に水玉模様が描かれています。オブジェだけでなく、絵画やインスタレーション作品など単に水玉模様を描いている作品だけではなく、丸い物体をたくさん置いて水玉に見立てたり(《ナルシスの庭》)、たくさんの電飾が水玉のようだったり(《無限の鏡の間-愛はとこしえ》)、水玉から不気味な作品やポップな作品まで生み出されています。

 

では、彼女がこんなにも水玉にこだわるのはなぜなのでしょうか。

もとは彼女が幼少のときに視界が水玉や網目に覆われるなどといった幻覚体験から、それを絵に描くことによって彼女の水玉模様が生まれたと言われています。

 

しかし、わたしが思うに、それは単なるきっかけに過ぎず、その水玉というモチーフを発見して、それを活用した作品が思いがけずおもしろかったということではないでしょうか。 

 

なぜ帽子をモチーフにしたのか?

 

今回のこの作品ではなぜ帽子がモチーフに選ばれたのでしょうか。

ちなみに、帽子の作品はこのオブジェだけでなく版画でも何枚か作品を残しています。さらに言うなら帽子だけでなく靴や洋服にも草間は水玉模様を取り入れ作品にしています。

 

わたし自身も大好きですが、水玉模様はファッションと非常に相性が良いです。

草間自身も水玉模様の派手な洋服で登場することが多く、それが彼女のトレードマークでもあります。

最近で有名なのは草間彌生とヴィトンとのコラボレーションではないでしょうか。

ショーウィンドウで華やかな水玉模様の服や鞄、お財布を身につけたマネキンを目にしたことがある人も多いかもしれません。

 

水玉模様のひとり歩き?

 

草間の華やかな水玉模様が有名になるにつれ、水玉模様を美術作品にしたいからそれを中心とした活動をしているというよりも、消費者へのウケがいいから作品にしているように見えてしまうこともあるかもしれません。

 

ヴィトンのような有名な商品とコラボレーションし、奇抜なかぼちゃで景観を彩り、そのポップさゆえにアートと言うよりはデザインではないか?と感じてしまうのではないでしょうか。

 

華やかでかわいらしいようで、でもどこか不気味なのが草間作品の魅力なのに、単なるデザインとしての水玉になってきているのが少し寂しい、とわたしも実は感じていました。

 

しかし、そんな考えは近年の草間の作品を見ていたら吹っ飛んでしまいました。消費者へのウケが良い作品は草間作品のほんの一部であり、最近ではさらにおもしろい作品をたくさん制作しています。

『別冊太陽 草間彌生 芸術の女王』に記載されている草間の世界各国での展覧会の様子はとても華やかであり、実際にその場で見てみたい作品ばかりでした。

80歳を超える草間が、商業主義に走らず、いまもなお新しい作品を作り、展覧会を開く姿を見て、「水玉がウケたからいろんな商品とコラボして…」と単純に感じていた自分が恥ずかしくなりました。

 

個人的には草間の作品は絵画よりもインスタレーションがとてもおもしろいので、ぜひ一度見てみたいです。

 

草間彌生経歴

 

1929年に長野県松本市で生まれました。

先に述べたように幼少期から幻覚や幻聴を体験し、水玉や網模様の絵を書き始めたそうです。

1957年にはニューヨークで活躍し、インスタレーションや過激なパフォーマンスも行っています。

1973年に帰国し、東京で版画や小説を制作し、1993年にはヴェネツィアビエンナーレの日本代表に選ばれています。

近年は大型のインスタレーション作品を中心に制作しているそうです。

 

参考文献

『別冊太陽 草間彌生 芸術の女王』2015年、平凡社