まちなかアート探索

まちのなかにある美術作品についてあれこれ書きます。主に福岡、ときどき他のまち。

柳原義達 《道標・鳩》

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風景に溶け込む鳩の彫刻

 

福岡銀行本店広場、というよりは広場の脇のほうにひっそりとこの彫刻は潜んでいます。 

小さな彫刻で、実際の鳩よりひとまわり大きいぐらいです。茂みに紛れてよほど意識していないと気がつかないかもしれません。

石の上なのか木の上なのか地面の上なのかはわかりませんが、台座の上に足を溶け込ませるように鳩がとまっています。

著者が日頃公園でみかける鳩とは違って、尾羽がふわりと広がっています。この作品では、クジャクバトという種類の鳩をモデルとしていたそうです。

 

鳩のモチーフ

 

それにしてもなぜ鳩を作品のテーマに選んだのでしょうか。変わった鳥を選ぶのではなく、そしてその鳩をデフォルメすることもなく、そのままの姿を表しているようです。

 

鳩は日本では神の使いとして神社やお寺の庭で飼われていました。また、中国では鳥を放つと幸福が訪れるという民間信仰があり、祭事や祝い事のときには鳩を放つ習慣があったそうです。そしてキリスト教では聖霊を表しています。

しかし現代に生きるわたしたちにとって鳩といえば、こういった神聖なイメージよりも、もっと日常的な穏やかな存在ではないでしょうか。

 

作者の柳原義達もこの後に示す彼の言葉からそのように感じていたことがわかると思います。

 

<道標>シリーズ

 

作者の柳原は《道標・鳩》という作品をたくさん残しています。その他にも《道標・鴉》という作品もたくさん残しており、どちらも日常よく見かける鳥を異なった表情で表しています。

 

彼はなぜこのような日常よく見かける親しみやすい鳥を制作対象に選んだのでしょうか。

彼の著書では以下のように述べられています。

 

私は今、主題「道標・からす」、「道標・鳩」を制作しているのも、「みちしるべ」として私の歩んだ道に目標をつけて、私なりの人生に置きかえているつもりである。野仏やお地蔵様を路傍でみかけたとき、それを建立し、拝み、親しんだ人たちのそれぞれの時代やその景観が美しい詩的な空間図となり、道標ともなって私たちをよろこばせる。そのような道標を積重ねて、二度と私というものを見失わないためにも「道標」という主題は意味がある。

 

柳原は作品を通して、普段は意識していないけれど、自分が日頃お世話になっている人や周辺にある自然、社会を表現しようとしているのかもしれません。

 

<道標>シリーズに至るまで

 

<道標>シリーズを制作する前に、柳原は《犬の唄》という作品を残しています。

「犬の唄」は、普仏戦争敗戦後のフランス人が、ドイツ人に対して、ちんちんをして媚びながら、内心は咬みつきたい抵抗の心情を歌ったシャンソンです。

この「犬の唄」を歌う光景を、エドガー・ドガが《カフェ・コンセールにて。犬の唄》として、美しいパステル画に描いています。

柳原は、その自虐と抵抗の心情を、ちんちんをする若い女性のポーズに託して、《犬の唄》を制作しました。

 

柳原自身も《犬の唄》は抵抗する自身の気持ちを表現したと述べており、この抵抗する気持ちが<道標>シリーズにつながっていきます。

 

抵抗行為が自己を存在させ、位置づける。この「孤独」の世界をつくりつつ、自分が生きている意義をたしかめるのである。自分の行為に記号をつけて私の孤独とその影に安らぎを得られるならば、そこから次へのみちしるべになって歩めるだろう。

 

柳原は戦争を経験し、《犬の唄》を制作し、とても疲れていたのではないでしょうか。抵抗と孤独な気持ちから安らぎを求めるようにこの《道標・鳩》を制作したのではないでしょうか。

 

柳原義達

 

柳原義達は1910年に神戸市に生まれました。

東京美術学校彫刻家に入学し、戦後1953年からパリで彫刻を勉強しています。

1958年に高村光太郎賞を受賞し、2004年に94歳で死去しています。

<道標>シリーズの他にも裸婦像やデッサンを多く残しています。

 

参考文献

柳原義達『孤独なる彫刻』1985年、筑摩書房

 

参考サイト

三重県立美術館

三重県立美術館/世界のなかにひとり立つもの−彫刻家・柳原義達 酒井哲朗 柳原義達展図録