まちなかアート探索

まちのなかにある美術作品についてあれこれ書きます。主に福岡、ときどき他のまち。

ナム・ジュン・パイク 《Fuku/Luck,Fuku=Luck,Matrix》

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整然と並ぶテレビ画面

 

キャナルシティ博多の正面玄関から中に入ると一番最初に飛び込んでくるのが今回の作品です。

縦10台、横18台のTVモニターがずらりと並んでいます。デジタルではなくブラウン管です。

 

著者がキャナルシティがオープンして初めてこれを見たとき、実はアート作品だとは全然思っていませんでした。まるで監視カメラの映像のような雰囲気を出しています。インパクトはあるのですが、「各階の監視映像を流しているのかな」と錯覚してしまうほどキャナルシティの入り口に溶け込んでいます。

 

画面の映像はいろいろ変わります。映ってない画面もあるのはわざとなのか節電なのか壊れているのか。もしかしたらこれも演出なのかもしれませんね。

 

映像は様々です。人の顔や唇やお弁当など、映りが良いわけではなのでなかなか特定するのも難しいです。

 

今回著者が撮影した写真を見るとわかりますように、ただ映像を流しているのではなく、歪んだ映像を使っているようです。

ひとつひとつの映像がどうこうと言うよりは、いろんな国とか文化とかがぐっちゃぐちゃになって歪んでテレビというデジタルに集約されてしまった雰囲気が出ています。

しかしキャナルシティというお洒落なショッピングセンターの雰囲気のせいか、妙にポップで風景に溶けこんでいます。もしこの作品が展示室の真っ暗な部屋に飾ってあったらかなり不気味ではないかと思われます。

 

ビデオ・アート

 

この作品はナム・ジュン・パイクの《Fuku/Luck, Fuku=Luck, Matrix》です。

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ナム・ジュン・パイクはビデオ・アートの創始者と言われています。

ビデオ・アートとは、その名の通りビデオ媒体を使った芸術表現です。1960年代にナム・ジュン・パイクによって創始され、その後ビデオシステムが発展して低価格化するとさらに広がっています。

 

ビデオ・アートが生まれた背景には、まずパフォーマンス・アートがあると言ってもいいかもしれません。パフォーマンス・アートでは人間の身体や動きが重視されていて、特に非言語的な特性に重点が置かれています。

なかでも「ハプニング」と呼ばれる偶然の芸術を音楽で表現したジョン・ケージにパイクは大きな影響を受けています。

 

早くから「ハプニング」や電子音楽に触れてきたパイクだからこそ、テレビという新しい媒体にすぐに反応できたのかもしれません。

 

今回の作品はさらに180台のモニターを使用するというとても規模の大きな作品です。

パイクはこの作品以外にも「ビデオ彫刻」として《TVブラ》や《TVチェロ》といったテレビ自体を素材として作品にしています。

《Fuku/Luck, Fuku=Luck, Matrix》もテレビ画面に映る映像というよりもその規模の大きさやさまざまな色がピカピカ光るその感じそれ自体を作品としているのではないでしょうか。

 

タイトルの《Fuku/Luck, Fuku=Luck, Matrix》意味はなんでしょうか。

わたしが考えたのは”Fuku”は「福岡」のことで、"Luck"は「幸運」、”Matrix”は「母体」という意味だから、福岡を生み出したのは、様々な文化(主にアジア)であって、その幸運を表しているんじゃないかということです。

 

インターネットで彼について調べていたらこの作品の動画が出ていたのでそれも載せておきます。


"Fuku/Luck,Fuku=Luck,Matrix" — ナム・ジュン・パイク ...

 

しかしこちらの作品は、制作当初がどうであったかはわかりませんが、何も映っていない画面が多数あります。

節電なのか、壊れたのか、わざとなのかはわかりませんが、デジタルテレビが普及した今となっては、この少し古びたブラウン管が妙な味わいを見せています。

何もついていない画面があるのもまた良いのではないかと。

しかし「壊れたのそのまま放置してるのかよ」と思われる不安もあります。 

 

ナム・ジュン・パイク

 

ナム・ジュン・パイクは1932年に韓国のソウルで生まれました。

1956年に東京大学文学部美学・美術史学科を卒業し、20世紀音楽を学ぶためにドイツに渡っています。

1964年にはニューヨークに活動の場を移し、1977年にはビデオ・アーティストの久保田成子と結婚し、この年からハンブルクで教鞭をとっています。

そして2006年にアメリカで死去しました。

 

ビデオ・アートという一大ジャンルを築きあげ、いまもなおキャナルシティの入り口を現代的な印象にしてくれています。

この記事をきっかけに監視カメラの映像ではないということに多くの人に気がついてもらいたいものです。

 

参考文献

福岡市美術館『ナム=ジュン・パイク展』1994年